第7回キューズa作品展無事終了

3/19~23 まで東大阪市民美術センターでの作品展、のべ500余名の方々にご来場頂きました。お越しいただいた皆様、この場を持ってお礼申し上げます。今回は20周年という節目であり、また、私自身、大きな賞を頂いたりで、感慨深い作品展になりました。

今後も生徒さん達とともに、キルトのある生活を大切に精進して行きたいと思います。

チャリティ講習会

アートキルトスタジオ・キューズa 作品展会場内にて、チャリティ講習会(500円)をいたします、皆様どうぞご参加くださいませ。
収益金は『まつもと子ども留学』に寄付させて頂きたいと思います。微力ですが、金額だけではなく、「震災のこと、原発の被害のこと、まだ何も終わってへんねんで、、」と関西地方の人達にも思い起こしていただきたいのです。

http://www.kodomoryugaku-matsumoto.net/

写真は講習会で作るポーチです、誰でもお気軽にご参加いただけます!!

第7回作品展 3/19(水)〜23日(日)
10:00~17:00 最終日15:00まで
東大阪市民美術センター http://www11.ocn.ne.jp/~ham/index.html

いよいよ来週3/19(水)〜23(日)作品展です!

アートキルトスタジオ・キューズa 第7回作品展、今回は開設20周年でもあります。もう作品が出来上がった方もいますし、今、ラストスパートをかけている方もいらっしゃいます。さあ、がんばって楽しい展示会にしましょう!!

(掲載作品の展示は巡回中の為今回はありません)

2014.3.19~23 10:00~17:00(最終日15:00まで)

東大阪市民美術センター(近鉄奈良線「東花園駅」下車 北へ徒歩5分

 

MAA第一回作品展 ー白ー無限の可能性

MAA第一回作品展 ー白ー無限の可能性

2014年 2月 12日(水) 〜 17日(月)11:00 〜 19:00 (最終日は17:00まで)

麻布十番ギャラリー http://azabujuban-gallery.com/wp/

私の所属しているミクスドメディアのアートグループのグループ展が来週に迫りました。ワタシの12日に在廊する予定です。

ここではキルトとは少しかけ離れたものを作っていこうと思っています。

白をテーマにしたミニアチュール(30x30x30cm) に18名のMAA会員が挑戦しました。
その白の作品を中心に各会員のオリジナル作品も合わせて展示しています。
「しろ」 色味としてとらえるだけでなく、素材、テクスチャー、ステッチ、フォルム、テクニック、
さまざまな要素を吟味し、組み立てられた「しろ」は実に多様な表現の可能性を見せる。

ーしろー無限の可能性

ミニアチュールにこめられた 「しろ」 は作者の感性を映して、無限にその表情を変える。

明けましておめでとうございます。2014

2014年が始まりました。
年賀状をいただいた皆様、お礼申し上げます。ありがとうございました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。震災以降、考える所ありまして脱年賀状とさせていただいております。どうぞご容赦を。

今年は二月に東京でミクスドメディアのグループ展、三月には当教室の20周年記念作品展、四月は先日受賞しました「キルト日本展」の展示が東京都美術館から始まります。まだ日程は決まっていませんが、夏頃にイタリアでアート仲間とのグループ展も計画しています。これはなんとアメリカ、オーストラリア、ベルギー、イスラエル、日本、の6人が参加予定、これもフェイスブックのおかげですね。全く驚くべき世の中になりました。あと、スペイン、イタリアへのミクスドメディアの作品も出品予定しています。

今年もキルトだけに留まらず、自分のイメージを作品に展開していけたらと考えています。その為にはやはり健康ですね。。。皆様のご健康をお祈り申し上げます。

写真は「キルト日本展」瀬戸賞 ”a soul,a soul,a soul,…..”ディテール

コンテンポラリーキルトと私

わたしは子供のころから絵を描くのが大好きでした。
まず最初に絵描きになりたいと思いましたが、美術大学では主に立体と写真、
映像の作品を作っていました。その後ワタシは工業デザインの仕事を少ししましたが、
結婚後、子育てのためにしばらく主婦をしていました。しかし創作へのワタシの欲求は
ワタシを突き動かしました。そして糸と針を使って布を扱う仕事を自然に始めていたのです。
私の母は刺繍の職人でした。また私の祖母は和裁をしていました。私は子供のころから
彼女らの針と鋏を使う音を聞きながら大きくなりました。この影響がとても大きいと
思います。布と糸と針はワタシの血肉の奥深くにしみ込んでいるのです。

23年前、わたしはパッチワークキルトの勉強を始め作品を作り始めました。
最初は当時の私の先生(嶋道子)と祖母の影響から、アンティーク着物を使った作品を
作っていました。しかしデザインはトラディショナルではなく、私のオリジナルの
抽象形でした。私にとっては何故かそのほうが自分の心情をうまく表現できるのです。

それから1997年に、私はアメリカのコンテンポラリーキルトのパイオニアである
ナンシー・クロウのワークショップに参加しました。この時からワタシは型紙を使って
キルトを作るのを止め、私のキルト制作における大きな転換点となりました。

また、昨年からのフェイスブック上でのカール・ヘイワードのプロジェクトに参加し、
彼や彼の素晴らしい友人達であるアーティストの影響もワタシの制作への大きな
転換期になったのは間違いありません。私は小さなものを積み重ねて大きな物を作っていく
作業が中心でしたが、私は大きく作ったものを再びカットし構成しなおしていくという
繰り返しの中から生まれる面白い形に魅了されたのです。フラグメンションという言葉、
特に捨てようと思っていたカケラの美しさに気付きました。ワタシは彼からステキな
イメージのフラグメンションを受け取り、私の中で増殖させ、彼のおかげでより自由な
表現のできる新しいステージに移動できたことをとても感謝しています。

現在、ワタシは染色やペインティングでオリジナルの布を作り、その布を組み合わせた上に
執拗なミシンワークを施し、透けるオーガンディを加えたり、その上にまたペインティング
をしたり、ハンダゴテで焦がしたり、何重にもレイヤーを重ねていくことで絵画のような
複雑なテクスチャーを表現しようとしています。ですが、制作方法はこれだけではなく、
私はいつも新しい何かを探していて、一つのスタイルの固執することができません。
これからも様々な角度からの制作は続いていくと思います。

また、私が制作する上でとても重要なのは物語です。いつも私の作品は私の私小説です。
その都度変化する私の心情を作品に投影していくことでしか私は私の精神の安定を得る
ことができないからです。

最後に、私は自身の表現の為にコンテンポラリーキルトをずっと作ってきましたが、
トラディショナルキルトももちろん大好きです。その愛の溢れる温かさ、懐かしい手触り、
人を想う心、、、私はキルトは布を繋ぎ合わせただけで作られているのではなく、
心と心を繋ぎ合わせて作られているのだと感じています。

サンフランシスコに送った2作品について

今年もサンフランシスコのカール・ヘイワードさんとの仕事は続いています。彼はとてもステキなサイトをワタシの為に提供してくださいました。

http://spontaneouscombustionlanguageimagelab.wordpress.co・・・

以下、facebook からの転載。

“Eat your bones”
失敗し不要になったキルトをカットしリメイクすると不思議な形が現れました。
最初はスクエアばかりで堅苦しい感じでしたが、オーガンディで形を補足することにより、
面白い心臓のような黒い形になり、その中に白い骨を散りばめました。弧を描いた
真鍮の針金は輪廻のようです。また元のキルトに施した無数の黒いラインは髪の毛を
表現してあります。髪の毛は日本人の心情として、しばしば深い情念を想起させます。

“Love under my skin”
以前の制作で不要になった予め構成された主に赤系の布を張りつけ、ミシンワーク、
ペイントで血肉を表現し、最終的に象徴的な皮膚(人種)の違いを表現するために
黒と白のオーガンディを張りつけステッチをかけました。きれいな赤の水玉と
淵に使われた赤い布は”紅絹(もみ)”と呼ばれる着物における女性の肌着です。
私達にはとても官能的な要素を持ち合わせた布です。

「相手の肉や骨まで愛せるか?」とサルトルは言いました。私は10代の時から
そのことを何度も自分の中で反芻させています。生まれ育った国、人種、宗教、
生活習慣の違いを超えたもっと人間の本質の部分への大きな愛を問うこともできますし、
あるいは、究極、目の前に愛する人の血肉、骨、内蔵を並べられて、
それを愛することがきるか?また、その人の肉や骨まで食べ尽くしたいほど
人を愛したことがあるか?という限定的な問い。
人間の存在自体への問いでもあります。

https://www.facebook.com/notes/鈴木-あきこ/サンフランシスコに送った2作品について/560881757299738

片岡修氏(グラフィックデザイナー、1932-1997)は「原爆の子」であった。2013.6.17 facebook より https://www.facebook.com/notes/鈴木-あきこ/片岡修氏グラフィックデザイナー1932-1997は原爆の子であった/518725691515345

やはりそうであった。昨夜ふと、もしかしたら「原爆の子」の中に片岡氏の文があるかもしれない、
と酔った頭で思いついた。又今朝見つけたブログで紹介されていた、
片岡氏の第五福竜丸での”ラブピースポスター展”2010には「原爆の子」の文字・・・

http://k-batta.blog.so-net.ne.jp/2010-08-31

もしやと思い本をめくっていくと、あった! 片岡修 高等学校三年(当時中学一年)という文字。
鳥肌が立ち、高校生とは思えない卓越したその文章を読み進めるうち、
涙が止まらなくなった。
前回の私のノート5 ”映画「ひろしま」と出会って”の中で紹介させて頂いた、
夫の恩師である今は亡きグラフィックデザイナーの片岡修氏の文がこの本の中にあったのです。
映画「ひろしま」への強烈な氏の導きを感じている。

以下、一部抜粋させて頂きます。

片岡修 高等学校三年(当時中学一年) : 「原爆の子」長田新編 下巻P204 岩波書店より

原子爆弾が投下されてから、ちょうど満六年の月日が過ぎ去った。六年と一口に言って
しまえば何でもないようだが、その間に我々は、口ではとうてい言い表わすことのできな
い多くの事柄について学び、多くの尊い(?)体験を身につけた。そして敗戦の後におそった
インフレによる苦しい生活にも、何とか耐えてはきた。だが原子爆弾は、楽しかった我が家
から一度に二人の肉親を奪いとったのだ。
私は言いたい。我々のうちに一人でも幸福を願わぬ者がいるだろうか、我々のうちに一人
でも平和な生活を願わぬ者がいるだろうかと。私は断言する。我々が心から望むただ一つの
ものは、「永遠の世界平和」であり、二度と再び世界を戦争の恐怖に巻き込み滅亡への道に
導かないことである。戦のあるところ、そこには薔薇色の栄光は断じて見出せないのだ。
すでに戦争は六年前に終ったはずである。その意味でも私は、できるだけ六年前の戦争が生
んだあの惨劇の一齣を思い出したくはない。非人道きわまる原爆による惨劇は、筆や紙によ
ってはとうてい記しつくせるものではない。だが一瞬にして数十万の尊い人命を無惨に殺戮
し、この広島をして砂漠たらしめたあの惨劇を、身をもって体験した人々の心からの叫びは、
「戦争を再びくり返すな」という語につきるであろう。
(中略)
六日の朝、父は空襲が解除になると、朝食もそこそこにすまして、すぐまた市役所に出か
けた。その日は正午出勤の日だったらしいが、父はいつも通り、私が学校に行くちょっと前
に出かけて行った。その朝の別れが、私たち家族との永遠の別れとなってしまった。
このような人たちが、私のほかにまだ何人いることだろうか。たった一発の原爆で、罪
なき二十幾万の尊い人々の生命が、無惨にも失われてしまったのだ。「また戦争でもおこれ」
と考えている人たちが、現在かなりいるのではないだろうか。このようなことを言う人たち
は、もはや現代に生きる資格を完全に失っていると私は断言する。
(中略)
我々は、足に傷をし、もう目の見えなくなっている友を引ぱって、プールに駆け上った。
そこで私は何を見たか。火傷で全身焼けただれ、眼が開かないばかりにプールに落ち込んで、
もう死んでいる友。友の服に燃えついている火を、自分の傷口からふき出る血で消そうと努
力している者。燃えている服をぬぐ暇もなく、プールに飛び込んだが、火傷のために手足が
動かず、そのまま溺れていく者。全身火傷で、顔が二倍にも三倍にもふくれ上って一体誰だ
か見当さえつかなくなっている者。彼らはもう動くことさえできなくなっているのだ。それ
でも空を見上げて、
「畜生!」「畜生!」
と叫んでいた友の姿を、私は忘れることができない。深く私の脳裏に刻みつけられたあの影
像は、私に何を叫び何を要求しているのか?
(中略)
幸か不幸か、私は校舎の中にいて火傷はしなかった。(校舎の中にいても、大部分の者は火
傷したのだが。)傷もごくわずかだ。けれども這い出した時の異臭によるのか、ずっと吐きつ
づけである。力は全く抜けてしまって、二人を支えて歩いていることのみが、精一ぱいの努
力だった。途中何度か、私は二人の友と一緒に道路にへたばってしまった。
比治山に向かってどんどん逃げて行く多くの人たちにも、ずっと後れてしまった。身にま
とう物さえ何一つない腫れ上った母親が、火傷と傷でもう息の絶えている子供を固くだきし
めて、狂気の如く叫びながら走って行く。暗紫色に腫れ上った体を、道路の両脇の溝、ある
いは防火の中に浸したまま死んでいる学生、そして女。倒壊した家屋の中から首から上だけ
出して、助けを求めて叫んでいる人々・・・・・。
これを見た時、私は戦争の正体に戦慄した。それは”この世”ではないのだ。地獄だ。戦場
でもおそらく見られないだろうと思われる、残虐極まる情景なのだ。尊い人間の死体が、
魚屋にころがっている鰯の頭と変わらないのか。これが、戦争のつくった、本来善良で平和
を愛する市民への、最大の贈物なのだ。
(中略)
私はもうこれ以上書けない。私はここまで書いて、もうペンは握れなくなった。この文を
私は二度と再び読み返す気にはなれないだろう。未完のまま・・・・・。

2013 を振り返る 1

今年は本当に沢山の出会いがあり、人生に大きな意味を持つ年となりました。特にFacebook を通して素晴らしい活動に触れ、生き様に感動し、協力させていただいたり、又逆に、多くのお引き立てを頂いたり、、、順にご紹介していきたいと思います。

https://www.facebook.com/qusaki

以下は小林一平さんに出会い、「ひろしま」という映画を拝見し、2011.3.11 より私の中にくすぶっていた原発への想い、原爆への想い、核への想い、が一つになり、この映画を広くたくさんの方々に見ていただきたいと、お手伝いするようになりました。

「60年前の幻の映画「ひろしま」を見て … @ コープこうべ生活文化センター」2013.4.7
(「原爆の子」という子供達の文集を元に学校の先生達が一人50円ずつ出しあって2500万円で作られた。しかしあまりのリアルさに当時のプレスコードに引っかかり上映の機会を失い埋もれてきた作品)
ぜひ一度は見るべきだと思います。
人、ひと、ヒト、、、圧倒的な群衆、そして一人一人の生。人間のための映画である。60年前に作られたとは思えない迫力と高い技術力、芸術性、揺るぎのない脚本に支えられた骨太で、決してお涙ちょうだいには終わらない、クールな時代の切り取り方に驚いた。9万人の広島市民がエキストラとして、命の存在を強く訴えかけてくる。原爆、放射線、戦争のむごたらしさ。人々はゴミのように焼かれ、そこには尊厳もすでに個々の名前すらなく、打ち捨てられていく。それが戦争!
広島、長崎の真実が隠され、多くを知らされずに、私達は「過ち」を繰り返してしまった。54基の原発を唯一の被爆国である日本に作らせてしまったからだ….. 映画のラストに死者達がこちらに向かって歩いてきて訴えるのだ、あなたはその「過ち」をどう考えているの?これからどうするの?と …..

第12回キルト日本展 受賞コンテンポラリー部門”瀬戸賞”

昨日、お知らせが届きました。とても素晴らしい賞を頂き感動しております。
これからも精進してもっともっと心に染み入る作品を創っていきたいです。感謝。

“a soul, a soul, a soul …”  213 x 125cm

http://www.jhia.org/contest/entry01.html

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